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イギリス国教会を立ち上げさせたアン・ブリン

アン・ブリン

前回、エリザベス1世の寵臣ロバート・ダドリーの夫人エイミー・ロブサートの名のついたバラをご紹介しました。
前回書き忘れましたが、エイミー・ロブサートなるバラ、さぞかしたおやかなバラであろうと想像されるかと思いますが、さにあらず、旺盛な枝の伸び方をする元気のいいバラです。
今回はオールドローズではなく、比較的新しいイングリッシュローズですが、エリザベス1世の母、アン・ブリンの名をとったバラをご紹介しましょう。オースチン社が1999年に発表したイングリッシュローズで、中くらいのピンク、花びら数の多いロゼット咲きの花です。
アン・ブリンの名は「ブリン家の姉妹」の映画にもなったし、英国史をみるとき必ず登場しますので、ご存じの方が多いと思いますが、まさに「事実は小説より奇なり」の言葉通りの事件ですので、改めて登場させてみたいと思います。
バラ戦争を終結させ、チューダー朝の基礎をヘンリー7世が築いて、その後をヘンリー8世が引き継ぎます。ヘンリー8世が最初に結婚した相手はキャサリンです。その後ヘンリー8世はふと見かけたアン・ブリンを見染め、王妃キャサリンに男子が生まれないことを理由に離婚しようとしますが、ローマ教皇に認められず、強硬手段としてローマ教皇庁と決別し、イギリス国教会を新たに立ち上げてキャサリンを離婚しアン・ブリンと結婚をしてしまいます。そんな思いで結婚したアン・ブリンでしたが、その結婚生活も長くは続かず、アン・ブリンは不貞の罪を着せられて処刑されてしまいます。それもアン・ブリンの侍女に目をつけたからでした。悪名高いヘンリー8世はこのようにして生涯6人もの女性と結婚したり、処刑したり、別居したりしたのでした。
そのアン・ブリンとヘンリー8世との子供がエリザベス1世だったのです。不貞の罪を着せられて処刑された者の子供、ということで肩身の狭いエリザベスでしたが、他に後継者がいなかったことから王位が転がりこんできて、結果としてはスペインの無敵艦隊を破るなど、大英帝国の基礎を築くにいたりました。エリザベス1世は結婚をしなかったため、世継ぎがなく、チューダー朝はエリザベスの代で終わります。
娘の活躍をアン・ブリンは草葉の陰からどんな思いでみたことでしょう。

コラム寄稿

野村和子(のむら かずこ・バラ文化研究所理事)
京成バラ園芸(株)研究所にて故鈴木省三氏の助手を長年にわたり務め、その後NPOばら文化研究所の立ち上げに携わり理事を就任。同時に千葉市花の美術館の相談員を務める。
著書「オールドローズ花図譜」(小学館)、「オールドローズ」(NHK出版)、「四季の花だより」(千葉市みどりの協会)他。

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