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ギリシア時代

ギリシアのクレタ島にあったクノッソク宮殿の壁画にバラと思われるフレスコ画が発見されています。紀元前1500年くらい前のものと考えられていますが、ここには2輪のバラと思われる花が描かれています。花弁数が6枚であるため、バラではないのではないか、という説もあるようです。
がバラであるという前提のもとで数人の学者たちがこのバラを同定しています。それによるとロサ・ペルシカ説、ロサ・ガリカ説、ロサ・カニーナ説、ロサ・リカルディー説などがあるようです。現在はこの壁画はクレタ島ではなくて他の島の博物館に保管されているということです。

クノッソス宮殿のフレスコ画

ホメロスによって書かれた二大叙事詩に『イリアス』と『オデュッセイア』があります。書かれたのは紀元前800年ころではないかと考えられています。
この2編の叙事詩はトロイア戦争に係わる壮大な物語です。『イリアス』はトロイア戦争そのものの話で有名なアキレウス、アガメムノン、ヘクトル、オデュッセウス、などが登場します。またかの有名なトロイの木馬もギリシア側の戦略としてでてきます。この戦争にはギリシア神話の神々も登場して戦況を左右させることもあったためでしょうか、古来物語りとしてしか認められていませんでしたが、ドイツのシュリーマンが永年の執念で発掘を続け、トロイアの遺跡を発見したため、トロイア戦争は実際にあったものとわかりました。この物語が書かれたのは紀元前800年ころのことですが、戦争は紀元前1200年のころに起きたと考えられています。
『オデュッセイア』はトロイア戦争が終わって、各人はそれぞれの家に帰還しますが、オデュッセウスは帰途さまざまな艱難に出会い、家に帰るまでに20年を要してしまいます。その途中の冒険が書かれています。
このイリアスに誠に興味のあるバラに関する記述があります。トロイア側の将ヘクトルはギリシアのアキレウスによって斃されますが、ヘクトルの遺骸にはアフロディーテがバラの香油をぬったために野犬どもにかまれることはなかった、と書かれています。これによりホメロスがこの叙事詩を書いた紀元前800年ころにはすでにバラの香油があったのだということを知ることができます。

またギリシアの時代には多くの抒情詩人がバラを詠っています。古い時代ではサッフォーやアナクレオンが有名ですが、紀元前1世紀という新しい時代のアスクレピアデースは当時の生活をしのばせる面白い詩を書いています。

  市場へ出かけてね、デーメートリオス
    アミュンタースの店で3匹いわしをもらへ
  そいから小あじを10匹ばかり
    それと芝えびを―あいつが自分で勘定してくれるだろ―
  24 匹ほどとって、家へ帰ってこい。ついでに
    タウポリオスのところから薔薇の花環を6つほど買って・・・・・
  そいからと、途中に寄って
    トリュフェラァをすぐにと招ぶんだ

ここで注目したいのは「薔薇の花環を6つほど買って・・・」というところです。薔薇の花環を6つ買う、ということはいつでも購入できる状態であることを示しています。いつでも薔薇の花環が買えるということは、それだけ需要があり、供給できたということでしょう。それはそのままバラの栽培がかなり確立していたであろうことが想像されます。
同じギリシア時代で、少しさかのぼりますが、紀元前370年前後に生まれたとされるテオフラストスという植物学者がいます。テオフラストスが著した『植物誌』にはいろいろな植物を解説するに当たって「バラの花のような形」とか、「バラのように平たく咲く」とか「バラのような樹形である」とかの記述が多く、多くの植物の判断基準にされていたことが分かります。またバラは「種から育てられるが、生育が遅いために挿木で増やす」とか、「バラは5年もすると勢いが劣ってくるが、枝を焼いたり切ったりすることで長く育てられる」というように剪定が必要であることなどを把握していたなど、現在と変わらない理解がすでにされていたことがわかる興味深い記述もあります。

コラム寄稿

野村和子(のむら かずこ・バラ文化研究所理事)
京成バラ園芸(株)研究所にて故鈴木省三氏の助手を長年にわたり務め、その後NPOばら文化研究所の立ち上げに携わり理事を就任。同時に千葉市花の美術館の相談員を務める。
著書「オールドローズ花図譜」(小学館)、「オールドローズ」(NHK出版)、「四季の花だより」(千葉市みどりの協会)他。

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