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バラ戦争の和解から生まれたヨーク・アンド・ランカスター

ヨーク・アンド・ランカスター

ダマスク系のバラで、木の様子、葉・花の形はロサ・ダマスケナによく似ています。高さ1.5~1.7mで枝が垂れることは少ないですが、あまり太くもならず頼りなげな枝ぶりとなります。大きなとげはなく、小さい不規則な刺が散在します。葉は明緑色で丸みがあり、ややまばらに近い葉の数になります。
本種とロサ・ダマスケナとの違いは花色で、ロサ・ダマスケナは明るいピンク色ですが、ヨーク・アンド・ランカスターの場合は白色とピンク色が不規則に混ざり合います。時には白にピンクの筋が入ったり、1花の半分が白、半分がピンクになったり、花全部が白くなったり、ピンクになったりして、斑の入り方が一定していません。
別名はロサ・ダマスケナ・ヴェルシコロール、ヴェルシコロールとは「色が変わる」という意味で、この花色の特徴を表しています。

チューダーローズ

このバラになぜ「ヨーク・アンド・ランカスター」という名前がついたのでしょうか。
1455年から1485年にかけてイギリスで30年戦争と名付けられた内紛がおきます。外国との戦争ではなくて、元はプランタジネット家からでたランカスター家とヨーク家という兄弟が王位を争った戦いです。最初はランカスター家からヘンリー5世、ヘンリー6世と王がでますが、ヘンリー6世が幼く、長じても子供がいなかったために跡をねらうヨーク家からリチャードが立ち上がります。のちに3世として王位に登るかの有名なリチャードは3男でしたが、自分が王位につくために長兄の子供も殺してしまう、というヨーク家の中でも残虐をつくして王位を奪いますが、ランカスターの血を引くヘンリー・チューダーが立ち上がり、またたく間にリチャ-ド3世を斃してしまいます。リチャードの在位はわずか2年くらいでした。ヘンリー・チューダーはヨーク家のエリザベスを妻に迎え、ここでランカスター家とヨーク家は和解をします。
シェークスピアの一連の歴史シリーズでこのあたりは詳しく描写されていますが、「ヘンリー6世」の中で、ランカスター家を支持する者が赤バラを摘み取り、ヨーク家を支持する者が白バラを摘み取って両家が袂を分かつ、という場面があります。
このためにこの戦争はバラ戦争と呼ばれています。ヘンリー・チューダーはヘンリー7世として即位し、両家の和解の印に赤バラと白バラを重ねた図柄をチューダーローズとしてチューダー王朝の紋章とします。

チューダー王朝はエリザベス1世で絶えますが、この紋章はいまでもあちこちで使われています。英国王立バラ協会のエンブレムもこのチューダーローズです。
チューダーローズという名前の生きたバラは存在しないと思いますが、このダマスク系のバラがひとつの花に赤色と白色がでる、ということで、その名前がヨーク・アンド・ランカスターとなったものでしょう。
ちなみにランカスター家の赤いバラは‘ロサ・ガリカ・オフィキナリス’ヨーク家の白いバラはロサ・アルバだと言われています。
現在もランカスター市に入る道路際には赤いバラが、ヨーク市の入り口には白いバラが標識のように立てられています。またヨーク市にいくと橋の欄干には白いバラが彫り込まれています。
イギリスのもつ歴史を市民が大切に思っているのが窺われます。

コラム寄稿

野村和子(のむら かずこ・バラ文化研究所理事)
京成バラ園芸(株)研究所にて故鈴木省三氏の助手を長年にわたり務め、その後NPOばら文化研究所の立ち上げに携わり理事を就任。同時に千葉市花の美術館の相談員を務める。
著書「オールドローズ花図譜」(小学館)、「オールドローズ」(NHK出版)、「四季の花だより」(千葉市みどりの協会)他。

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