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エイミー・ロブサート (Amy Robsart)

エイミー・ロブサート

前回イギリスのばら戦争に因んだ‘ヨーク・アンド・ランカスター’をご紹介しました。このばら戦争を終結させたのが、ヘンリー・チューダーでヘンリー7 世としてチューダー朝を興したのでした。
その後のチューダー朝の流れとそこに名前を遺したバラをご紹介しましょう。

ヘンリー7 世で基礎を築いたチューダー王朝はその子ヘンリー8 世に継がれます。ヘンリー8 世はいい治世もしたし、草花を楽しむこともはじめた王のようです。
が、それ以上に過酷ともいえる女性遍歴とそのための宗教改革までおこなってしまった人です。若い女性アン・ブーリンに惹かれ、男子が生まれないことを理由にして最初の妻を離婚するためにカソリックつまりローマ法王と決別して、独自のイギリス国教会を興したのです。カソリックは離婚を認めなかったからです。その後次々と王妃を替え、全部で6人もの女性と結婚をしたのでした。そして死後エドワードとメアリーの二人の子供が王位を継ぎますが、いづれも長くは続かず1558 年にヘンリー8 世の2 番目の妻アン・ブーリンの子供、エリザベスが王位を継ぎます。エリザベス1 世の在位は50 年におよび、その間スペインの無敵艦隊も破るなど世界的にもイギリスの国威が示され、王権は確立し、繁栄の一時代を築きます。
エリザベス1 世は「私は国家と結婚をしました」と言って、側近の勧めにも耳を貸さず、生涯結婚をしなかったため、処女王とも言われた人です。
しかし、その仲を疑われるほどの寵臣がいました。その一人がロバート・ダドリーです。そしてロバート・ダドリーの妻の名がエイミー・ロブサートだったのです。エイミー・ロブサートは階段から落ちて死に、エリザベスとダドリーと結婚するために死に追いやられたとのうわささえ立ったといわれます。が、その後ダドリーは別の女性と結婚をします。
そしてエリザベスは生涯独身を貫きました。

後継者には父ヘンリー8 世の姉の孫でありスコットランド女王であるメアリー・スチュワートの子供、ジェームズを指名しました。ここでチューダー朝は絶え、スチュワート家の時代に入るのです。エリザベス女王の寵臣、ローバート・ダドリーを夫にもったばかりに、人の噂に翻弄されたであろうエイミー・ロブサートの名のついたバラ、それはロサ・エグランテリア(ルビギノーサ)を片親に持つ濃いピンクの一重咲き、愛らしいバラです。
‘エイミー・ロブサート’の他には‘アン・ブーリン’の名のバラもあります。

コラム寄稿

野村和子(のむら かずこ・バラ文化研究所理事)
京成バラ園芸(株)研究所にて故鈴木省三氏の助手を長年にわたり務め、その後NPOばら文化研究所の立ち上げに携わり理事を就任。同時に千葉市花の美術館の相談員を務める。
著書「オールドローズ花図譜」(小学館)、「オールドローズ」(NHK出版)、「四季の花だより」(千葉市みどりの協会)他。

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