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デュシェス ダングレームとコント ドゥ シャンボール

デュシェス ダングレーム

前回、ルイ18世の愛妾、コンテス ドゥ カイラの名前のバラをご紹介しました。引き続き、ブルボン朝の最終章ともいえるこの時代の王の周辺人物の名がつけられたバラをご紹介しましょう。

コント ドゥ シャンボール

まずは、‘デュシェス ダングレーム’、これは「アングレーム公爵夫人」という名前です。
このバラはガリカ系で、Vibertが1835年に作出したものです。交配親がガリカとケンティフォリアローズであると考えられているように、ケンティフォリアの色とやさしさがでています。
アングレーム公爵はルイ18世の弟の子供です。フランス革命で処刑されたルイ16世の末弟の子供ということになります。
ルイ18世(プロヴァンス伯)が1824年に亡くなると、次の王位を弟のアルトワ伯が継ぎ、シャルル10世として即位します。1830年に7月革命がおこり、シャルル10世は退位してイギリスへ亡命します。
このシャルル10世の長男がアングレーム公爵で、その夫人の名をつけたのがこのバラです。このアングレーム公爵夫人――誰あろう、フランス革命で処刑をされたルイ16世とマリーアントワネットの娘、マリー テレースです。
残念ながら、夫のアングレーム公爵は人気がなく、シャルル10世の跡を継げませんでした。王の候補に上がったのはアングレーム公の弟で、すでに暗殺されていたベリー公の遺児アンリ ダルトワで、アンリ5世を名乗るはずでした。
議会に迎えられたアンリ ダルトワでしたが、フランスの3色旗を認めず、ブルボン家の白色旗を主張したため、結局排除されて、王位を継げませんでした。このアンリ ダルトワがシャンボール伯と呼ばれており、その名をつけられたバラがコント ドゥ シャンボールです。こちらはポートランド系のバラで秋にも花をつけます。

コラム寄稿

野村和子(のむら かずこ・バラ文化研究所理事)
京成バラ園芸(株)研究所にて故鈴木省三氏の助手を長年にわたり務め、その後NPOばら文化研究所の立ち上げに携わり理事を就任。同時に千葉市花の美術館の相談員を務める。
著書「オールドローズ花図譜」(小学館)、「オールドローズ」(NHK出版)、「四季の花だより」(千葉市みどりの協会)他。

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