ナポレオンをご紹介したあとはもちろんその妃、ジョゼフィーヌ皇后です。
とくにバラの歴史においてはジョゼフィーヌを抜きにして語ることはできないといえるでしょう。
ナポレオンとジョゼフィーヌが結婚したのは、フランス革命の余韻さめやらぬ1796年でした。ナポレオンにとっては最初の妻でしたが、ジョゼフィーヌは前夫ボアルネ子爵との間の子供二人を連れての結婚でした。遊び人であったジョゼフィーヌにとっては物足りない結婚ではあったようですが、1804年にナポレオンが皇帝になったとき、みずからがジョゼフィーヌに冠の載せている有名な絵画がのこされています。
その後世継ぎが生まれないことを口実に1810年、ジョゼフィーヌは離婚されてしまいますが、居城マルメゾンはそのまま与えられて、社交界のサロンのようであったと言われます。
このマルメゾンの庭に世界各地からバラを集めて植栽し、さらに交配による新しいバラの作出を考え出したのもジョゼフィーヌであったと伝えられています。
当時のジョゼフィーヌの収集はイギリスほか各地のロザリアンの間でも有名で珍しいバラが入ると、戦争中であったにもかかわらず、ひそかにジョゼフィ―ヌのもとに届けられたといわれています。マルメゾン宮庭が貴重種を保存するには、確実かつ最適との判断からだったのでしょう。
また、ジョゼフィーヌは画家ルドゥテにマルメゾンへの出入りを許可し、庭のバラを描かせました。描いたバラの数は169種類に及び、それらは『バラ図譜』として1817年から1824年にかけて出版されますが、ジョゼフィーヌはその出版を待つことなく、1814年に熱病で亡くなってしまいます。
その翌年、元夫であったナポレオンも最期の地セントヘレナ島で生涯を閉じます。
ジョゼフィーヌの連れ子であった娘のオルタンスはナポレオンの弟と結婚し、後のナポレオン3世を生みます。
息子のウジェーヌはイタリア副王になり、その娘ジョゼフィーヌはスエーデン王妃となります。
コラム寄稿
野村和子(のむら かずこ・バラ文化研究所理事)
京成バラ園芸(株)研究所にて故鈴木省三氏の助手を長年にわたり務め、その後NPOばら文化研究所の立ち上げに携わり理事を就任。同時に千葉市花の美術館の相談員を務める。
著書「オールドローズ花図譜」(小学館)、「オールドローズ」(NHK出版)、「四季の花だより」(千葉市みどりの協会)他。