• UPDATE

クリュテムネストーラとペネロペー

クリュテムネストーラもペネロペーもともにハイブリッドムスク系というロサ・モスカータに由来した系統に属するバラです。
クリュテムネストーラはわずかにオレンジ色がかったクリーム色の渋さのある花色で、つる状に伸び、秋にもよく花をつけます。
ペネロペーはほとんど白の花びらの縁にほんのりピンクがかかったやさしい色合いで、花びら数も15~20枚くらいの半八重咲き、枝はつるほどには伸びず、自立もできるし、トレリスに這わせることもできる半つる性です。
この二つのバラを同時に挙げてみたのは、どちらも古代に起きたトロイ戦争に関わる人物の名前だからです。
ドキドキするような物語をご紹介しましょう。

クリュテムネストーラ

クリュテムネストーラ

トロイ戦争はヘレネという女性を巡ってトロイ(ア)とギリシアとの間におきた戦争で、
紀元前1200年ころのことと考えられています。
ギリシア側の総大将の名前はアガメムノン、クリュテムネストーラはその妻の名前です。
10年もの間続いたトロイ戦争は最終的に有名なトロイの木馬作戦が功を奏して、ギリシア側の勝利となります。総大将の責を果たして無事帰還したアガメムノンでしたが、自宅では妻のクリュテムネストーラが夫の留守をいいことに男を引き入れていたのです。夫の帰還がけむたい妻は男と謀って帰宅早々の夫を殺してしまいます。
どうしてこんなおそろしい妻の名前がバラにつけられたのかは全く分かりませんが、その後、父の仇とばかりクリュテムネストーラは息子に殺されてしまいます。父の仇であってもやはり実の母を殺めたということで、息子もまたそれから辛い人生となります。
ギリシア神話の中でも『アガメムノンの悲劇』として有名な話です。

ペネロペー

ペネロペー

クリュテムネストーラが悪妻の代表ならば、ペネロペーは同じトロイ戦争に関わる貞淑な女性の代表といえるでしょう。
トロイ戦争に参戦した代表的は勇将のひとりにオデュッセウスがいます。ペネロペーはその妻の名前です。そして新婚早々でオデュッセウスは乞われて渋々出征したのでした。
オデュッセウスはトロイ戦争が終わってから自宅のあるイタケへの帰還を目指しますが、なんのいたずらか帰途さまざまな艱難に出会い、帰宅になんと20年もかかってしまいます。
10年の戦争期間を合わせると30年も夫は帰宅しないことになり、その財産を狙う多くの男性が自宅へ押し掛け、結婚をせまります。ペネロペーは夫の帰りを信じてひたすら待ちながら、それらの男性たちをなんとかかわし続け、ついに30年後に夫は帰宅して男性たちを追い払い、幸せな家庭を取り戻す、という話しです。

(注)
紀元前800年くらいにホメロスは『イリアス』と『オデュッセイア』という二大叙事詩を書き著しています。
『イリアス』はトロイ戦争の詳細を、『オデュッセイア』はオデュッセウスが帰還途中に遭遇した様々な、艱難辛苦や冒険が書かれたもので、どちらも壮大な物語です。
『イリアス』ではトロイ側の将ヘクトルがアキレウスに破れて倒れたとき、女神アフロディーテがヘクトルの体にバラの香油を塗ったために、その死体はいつまでも腐らなかった、というくだりがあり、今から4000年近くも前にバラの香油があったという貴重な資料ともなっています。

コラム寄稿

野村和子(のむら かずこ・バラ文化研究所理事)
京成バラ園芸(株)研究所にて故鈴木省三氏の助手を長年にわたり務め、その後NPOばら文化研究所の立ち上げに携わり理事を就任。同時に千葉市花の美術館の相談員を務める。
著書「オールドローズ花図譜」(小学館)、「オールドローズ」(NHK出版)、「四季の花だより」(千葉市みどりの協会)他。

ブログ一覧